パリジェンヌ流シンプルシックな生き方

我慢をやめてもっと自由に生きてみよ。主婦からの自立奮闘記

だから、我慢する結婚生活を辞めれない。

 

 

我慢する結婚生活いつまで続けるの?

 

 

 

 

結婚7年。

夫に愛情を持てなくなり

我慢する日々を過ごしていました。

 

何か大きな問題がないから仕方ない

結婚生活はそんなに甘いものじゃない

我慢は当たり前

子供が可哀想

離婚なんて親不孝

 

そんな言葉が私を苦しめました

 

大きな問題起きてからじゃ取り返しつかないでしょ?

 

甘い結婚でいいじゃない?

 

我慢を辞めてもいいじゃない?

 

子供や親の幸せは私やみんな幸せなんじゃないの?

 

 

我慢していつも自分を抑えていた

何の経歴もスキルもない普通の主婦の私が

 

もう我慢することをやめて

 

「自分の気持ちに素直に生きること」

 

をやろうと決めました

 

 

そこで問題になったのは

経済的自立していないこと

 

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自分の足で立って自由になることが

どれだけ必要か

それができなくて、どれだけのひとが諦めてしまうか

 

そこから

「女性の経済的自立する大切さ」を考える様になります

 

それは、私自身全く「女性が経済的自立」

することについてピンときていなかった

張本人であり

 

圧倒的に必要なく、経済的に依存してる

ことが当たり前で普通で女性らしい

とすら思っていました

 

しかし、次第に経済的に依存することは

危険なこと

 

 

なぜなら、自分ではない「誰か」に

主導権を渡すことは不自由とコントロール

意味するからです

 

 

自分にはできないと信じると

常に「誰か」に依存して任せていくことになります

 

 

 

 

例えば

車の運転をする時を想像してみて下さい

どこかへ行く時に必ず誰かが運転していますね

 

運転席のひとは

指示はされても、ハンドルを握って

運転をしているので自分の行きたい所へ

自分のペースで行けます

 

この時、助手席に乗っているひとは

「運転しなくていい」という労力を

得る代わりに不自由を得てます

 

楽してるようで本当は不自由です

 

もし、運転ができたら⁇

 

自分の行きたい所へ行けたら⁇

そしたら、もっと自由になると思いませんか⁇

 

人生もこれと同じことが言えます

 

多くの女性が助手席に座っていることを

当たり前と思っています

良い女性像、必要ないスキル、楽してる

と勘違いしてます

 

本当に良いんでしょうか⁇

 

自分の運転スキルがあって

自分の好きな道に好きなルートで

好きなペースで行きたいはず

 

 

でも、自分にはムリだと諦めるから

ムリだと信じているから

運転席に乗せるひとに「期待」する

 

あれができたらな〜

こうゆうことしてくれたらな〜

こういうひとがいいな〜

 

自分に「ない」ものを見つけようとする

心よりスキルを優先したひとを乗せて

その人に運転してもらって

幸せでしょうか⁇

 

自分の意志で嫌だったら

車から降りる、運転代わる

「運転してもらってるから…」って

後ろめたく感じずに遠慮せず声をあげて

自分の心を大切に生きれたらどうでしょう⁇

 

これが本当に幸せじゃないですか⁇

 

居心地が悪い場所から離れて

自分で生きていける

自分の意見を言える

 

そんな環境にちゃんと

自分の身を置くこと、その自分でいること

それが自由だと思うんです

 

 

そして、私は今

正に助手席にいます

それが女性の幸せと信じていたから

できないと信じていたから

 

でも、今その運転席を

交代できない自分に直面して

運転スキルをつけようとしています

 

そんな自分になれたら

どんなに自由で幸せだろう?って

希望だけでやってみたいと思ってます

 

本当は自由を掴んだ私が伝えたいんです

だけど、まだ未完成の私をサンプルとして

「こんな私でもできたよ!」それを伝えて

できる過程や経験、そこで得た知識を

シェアしたいです

 

自分以外の誰かが自分を幸せにすることは

できないし自分が常に運転手

 

自分の声、心に素直になること

 

 

 

考えてること思ったことを

素直に書き綴っていきます