我慢する以外にやるべきこと
こんにちは
私が我慢するのやーめた
そう実感したのは
我慢しても何も良いことがなかった!からです
我慢強くあること=根性とインプットされて
いた私は、幼少期から父親による根性をつける為の謎の特訓という名の刷り込みを受けて(公園でバトミントンすること)自分の中で確固たる考えが創られました
我慢は素晴らしい!
根性があるとは素晴らしい!
見事に我慢するのが得意になりました
どんな我慢かと言うと
●自分の意見は言わない
●まわりの言うこと絶対
●自分の気持ち押し殺す
●ひとに合わせる
●嫌なことも嫌と言わない
こんな具合に
いつも「我慢」を引き受けてきました
ただ、時より押し寄せてくる
「本当の声」に勇気を出して
言ってみたり、行動してみても
まわりの反応が良くなかったり
反対されたりすると苦しくなりました
誰かを不幸にしている気がして胸が痛み
だから、自分の声は聞こえても無視続け
辞めたり、場合によっては最初から
そんな「本当の声」が無かったことにします
つまり、「意志が無かった」
貫き通そうとする熱や想いが無かったのです
だから、自分の人生を生きている様で
「誰か」に合わせている自分を信じていない生き方でした
ここで本題に戻って。
我慢することで
何かを得たのか考えてみます
結果
●自分を苦しめた時間
●嫌なひと、ものといる時間
●ぼろぼろの身体と心
●違う未来
何も得をしていなかった
何も良いことがなかった
どれも取り返せないもの
形のないもの、お金で買えないもの
そして、誰も幸せにしていない
自分が我慢したところで誰の役にも立たず
誰かを幸せにすることもない
結局、「自分が我慢をしてあげてる」って
思うだけで、次へ進めない言い訳をしているだけでした
例えば、今辞めたい仕事があるとします
人間関係も最悪。この仕事に心底絶望している。でも辞める勇気がないとします
そんな時、「辞めたいんだけどね〜後任がいなくてね〜」とあなたは言う
だけど、あなたが辞めたところで喜んでそこに
働きたいというひとが来る。すぐ来る。
そこでどんな酷い職場環境や人間関係が繰り広げられているかなんて知らない、ただ「働きたい!」という無知で働く意欲のあるひとが。
あなたがやらなければいけないのは、耐えぬく我慢ではなく、後任の心配やそこでのいらない心配ではなく、自分の「覚悟」持つことではないですか?
この場所が本当の自分の場所なの?
これが自分に相応しいこと?
そう自分に問い掛けてみて
我慢は努力とは違う
我慢は当然ではない
「ここじゃない違うよ」のサイン
もっと努力ができる
そんな場所やことが存在するはずです
では、また