パリジェンヌ流シンプルシックな生き方

我慢をやめてもっと自由に生きてみよ。主婦からの自立奮闘記

いい父親ってことにしてる

 

こんにちは

 

 

 

夫の機嫌を損ねるのが嫌です

 

 

些細な事で怒ったり

機嫌が悪くなってイライラしたり

喧嘩したりする夫を避ける為

気がついたら、波風立てない様に

なんとなく収まる様に

どんどん私は気持ちを収えるのが

上手くなってた

そうしてれば、なんとなく上手く回るので

これが「正解」だと思っていた

 

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でも、どこかでそんな自分は嫌で

いつも顔色を伺っているのも疲れてた

 

友達に愚痴ってスッキリはしても

共感し合えて「あるあるネタ」みたいに

しても癒されることはなかった

 

幸せそうじゃない姿を見せるのが

嫌だったから。心配掛けたくないから

恥ずかしいから。知られたくなかったから

 

そんな結婚生活してるの

自分が一番嫌なのに、これが「普通」

そう思いこみたかったのかもしれない

 

もちろん良いところもある

父親として感謝することもある

悪いひとではないんだ

友人ならきっと上手くやれそうな

 

子供達の笑顔を見ると胸がギュッと痛む

私さえ我慢すれば…て

 

だから苦しい時には

良い夫じゃなくても良い父親なんだ

そう言い聞かせてごまかした

 

でも、嫌なことが好きになることは

ないと思った。

嫌なんだけどやっぱり好きだった〜

そんなことナイだろう

せいぜい見方を変えて、良く魅せている

それだけのこと

 

 

離婚することは罪。母から親不孝と言われる

こんにちは

 

 

 

私の中で「離婚する」とは

 

絶対にしてはいけないこと

罪、恥、大変、子供を傷つける

失敗、苦しい

 

いろんな想いを持っていました:(´ཀ`」 

 

 

でも、それ以上に、もう好きではないひと

との生活はそれ以上に苦痛で…

 

そんな自分を責めたり、ムリして繕って

頑張ること疲れました

頑張って報われることなら、頑張るけど

結婚はそんな科目ではないよなぁ…て

自分でも分かっていながら見ないフリ

偽って生きてきました

 

でも、一緒にいながら自分の気持ちを

装っていることも、犠牲になっている

つもりでいることも罪じゃないかな

 

不倫したり、浮気したり

隠れてコソコソして救われる方法もある

(否定はしません)

でも、それは私の好みじゃなくて

影で悪口言ってるみたいな後ろめたさがあって

 

 

母に言われました

 

我慢するのが普通

夢見てる

諦めるしかない

離婚するなんて親不孝

 

これを言われて傷つきました

それと同時に気づいたのは

それ母の考えだよね?てこと

 

母が信じてる考えだから(見事に叶ってる)

母は大切にしてきたことなんだと思う

 

だから私もそれが絶対な気がしていたんです

 

でも、冷静になって思うと

 

え、我慢て普通なの?

え、夢見てるの?

え、諦めるしかないの?

え、離婚したら親不孝なの?

 

 

結婚は義務ではないけど

 

もっと夢があって、愛に溢れてるもの

そうじゃないのかな?

 

我慢することなく一緒にいるものじゃない?

 

私の子供が離婚したいって言ったら

心配するけど親不孝とは思わないな

健康で生きて貰ってるだけで親孝行でしょ

ムリして思い詰めて苦しんでるなんて

可哀想すぎる

 

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そんなことを考えて

母は母なりの私に対して「愛」だったんだ

そう理解しました

 

母は、我慢することで成り立つ結婚

どうしようもなく仕方なくても

諦めていることで報われた結婚、愛だった

 

それが家族の為、子供の為だと

必死になって耐えることで守られて育まれたのが私なんだ

 

それが母の選択だった

 

それがあっての「今」であり

私ができてる。だから感謝しよう

その上で私はどうしたいか?

 

夢みる夢子でもいい

夢みれないよりマシだと思う

 

私なりの愛を考えよう

 

 

では、また

 

 

 

 

 

 

相手を好きでいるという選択

 

こんにちは

 

 

 

結婚生活が辛い…

出口がひとつしかないと思っていた時は

 

どうにか続けていかなきゃいけない

途中で離脱や歩くことも許さない

ラソンの様な絶望感と苦しさで


目の前が真っ暗に閉ざされた様でした

 


でも、未来は沢山あって


どれでも選べる!


そう考えるとホッとしました

 

 

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黙って我慢し続けて究極のところまで


耐えぬく選択

 

 


もう顔も見たくない
出会えたことを責めたくなる選択

 


見ないふりする選択


私は
相手を好きでいる選択をしたいです

 


それは、相手のことも嫌いになりたくない


いや、正確には嫌いになれないから

 


彼の為にも私の為にも
子供達の為にも

 

 


いつも思い出した時


嫌だなぁ〜って重くなる

あいつ許さない〜

本当ムリ〜っていう
「嫌なひとの位置」におきたくない

 

子供の為と自分を我慢させると

どこかであなた達の為に頑張ったの!

と言いたくなってしまうし

そんな姿は幸せではないだろう
何より、子供に耐えぬく姿を見せたくない

 


「結婚できてよかったんだよ〜!」


そう言える存在でいたい

 

「何か」があってからでは

心の狭い私はそんな風に思える自信がないです

 


そんな距離でいる為に


文句言わず、絶望せずに


私は自分の足で立つ自立を始める
ことにしました

 

いろんな試して、修正して

やってみます

 

では、また

何かないと離婚しちゃいけない⁇

 

こんにちは

 

 

 

私の今我慢し続けていることを打ちあけたいと思います

 

 

それは、我慢した結婚生活を送っていること

 

子供がふたりいて、手が掛かる時なのに

嫌だって思ってはいけないし

頑張らないといけない

こんな風に思う自分をずっと罰していました

 

結婚してそれなりに幸せだと思っていた

生活でしたが、いろんな我慢が積み重ねられてきました

 

優しいと思った(いることにした)

主人の性格や考え方の違い

夫婦は違うから良いと思っていたけど

理解し合えない事には

ただの気の合わない同居人と一緒にいる

だけの事で、苦痛なんです

 

今まで特に世間でいう

大きな「原因」がないからこそ

仕方ないんだと信じていました

 

でも、頑張ることや我慢することに

どんな意味があるんだ?と考えた時に

何も見当たらない、ただの自己満なんじゃ

ないかと思ったのです

 

 

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我慢して耐え抜いて、自分を偽って

生きていくことが自分にとって

相手にとって、子供にも良いこと?

誠実なんだろうか?

 

決定的に「何か」が起こる前に

決めることは逃げること?ダメなこと?

 

私は主婦なので、何もない状況から

子供達を育てながら生きていくのは

不安とデメリットしかないです

 

でも、自分が苦しくても

不満と不安を耐え抜いていくことを選ぶより

希望を持ちながら、自分の足で立って

生きていくことの方が

よっぽど価値があることに思えました

 

少しずつでも

自分の気持ちを大切にしてあげたい

そう決めました

 

 

 

 

 

履歴書の特技欄が空白。書けない私の気づいたこと

こんにちは

 

 

 

いつも憂鬱な瞬間があります

特技、趣味とかの欄に書くことがないのです

( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

取り留めて特徴もなし

本や映画、漫画が好き

カフェ巡り、心理学や自己啓発

これといった個性も才能もない

 

いつもそんな自分に愕然としてきました

 

でも思うのです

 

何かを取りにいったことはあったのか⁇

 

もう、絶対に欲しい!

注いで輝かせて熱中して一か八かの勝負

 

そんな時あっただろうか

例えば大学への受験⁇

好きなひとへの告白⁇

全て挑まなかった弱虫です

正確に言うと、挑む場所にもいってない

 

 

受験も倍率が高くて怖くて

挑むことを辞めたし

 

好きひとが欲しい〜

騒いでいても、いざ目の前に現れたら

怖くて何も挑まず逃げ

 

好きな場所に住んで

行きて行こう!と決めても

誰かの迷惑になってる

自分が必要なんだと言われたら

自分の要求に従っている自分が

酷くわがままに思えて泣く泣く諦める

 

怠け者です

 

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高みを望んで出来ないよりも

今あるものに文句言わず守っていくこと

それが安全だし真っ当な在り方だと信じて

 

何も挑んでいないから

何も失うことなく生きていたつもりが

失われたものがありました

 

 

本当に満足すること

 

 

自分が納得して満足するには

本当の声を聞く必要があって

 

本当に欲しいものを

欲しい!という勇気

恥かいても情けなくても挑む勇気

未来がわからなくても可能性に

賭ける自分を信じる気持ち

 

それをしたひとにしか見えない景色

世界と、満足と可能性

 

 

何も失うことなく挑まない事で

自分を守り続けていた心は

大きく自分を失っていました

 

どんなに突出した個性や才能がなくても

誰でもない主役以外の人生を生きられない

 

どんなに辛くて苦しくて隠れていても

あなたが選んで決めて歩んできた人生を

端っこでただ眺めることはできないし

 

誰かの人生で脇役でも

自分の人生では主役にしかなれない

 

そして、主人公はいつも

 

逃げることはできません

 

我慢する以外にやるべきこと

こんにちは

 

 

 

私が我慢するのやーめた

 

 

そう実感したのは

我慢しても何も良いことがなかった!からです

 

我慢強くあること=根性とインプットされて

いた私は、幼少期から父親による根性をつける為の謎の特訓という名の刷り込みを受けて(公園でバトミントンすること)自分の中で確固たる考えが創られました

 

我慢は素晴らしい!

根性があるとは素晴らしい!

 

見事に我慢するのが得意になりました

 

 

どんな我慢かと言うと

 

●自分の意見は言わない

●まわりの言うこと絶対

●自分の気持ち押し殺す

●ひとに合わせる

●嫌なことも嫌と言わない

こんな具合に

いつも「我慢」を引き受けてきました

 

ただ、時より押し寄せてくる

「本当の声」に勇気を出して

言ってみたり、行動してみても

まわりの反応が良くなかったり

反対されたりすると苦しくなりました

 

誰かを不幸にしている気がして胸が痛み

 

だから、自分の声は聞こえても無視続け

辞めたり、場合によっては最初から

そんな「本当の声」が無かったことにします

 

つまり、「意志が無かった」

貫き通そうとする熱や想いが無かったのです

 

だから、自分の人生を生きている様で

「誰か」に合わせている自分を信じていない生き方でした

 

 

ここで本題に戻って。

我慢することで

何かを得たのか考えてみます

 

結果

●自分を苦しめた時間

●嫌なひと、ものといる時間

●ぼろぼろの身体と心

●違う未来

 

 

何も得をしていなかった

何も良いことがなかった

 

どれも取り返せないもの

形のないもの、お金で買えないもの

そして、誰も幸せにしていない

自分が我慢したところで誰の役にも立たず

誰かを幸せにすることもない

 

結局、「自分が我慢をしてあげてる」って

思うだけで、次へ進めない言い訳をしているだけでした

 

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例えば、今辞めたい仕事があるとします

人間関係も最悪。この仕事に心底絶望している。でも辞める勇気がないとします

 

そんな時、「辞めたいんだけどね〜後任がいなくてね〜」とあなたは言う

だけど、あなたが辞めたところで喜んでそこに

働きたいというひとが来る。すぐ来る。

 

そこでどんな酷い職場環境や人間関係が繰り広げられているかなんて知らない、ただ「働きたい!」という無知で働く意欲のあるひとが。

 

あなたがやらなければいけないのは、耐えぬく我慢ではなく、後任の心配やそこでのいらない心配ではなく、自分の「覚悟」持つことではないですか?

 

この場所が本当の自分の場所なの?

これが自分に相応しいこと?

 

そう自分に問い掛けてみて

 

我慢は努力とは違う

我慢は当然ではない

「ここじゃない違うよ」のサイン

 

もっと努力ができる

そんな場所やことが存在するはずです

 

 

では、また

 

 

 

個性を知るたったひとつのこと

こんにちは

 

 

私は幼い頃から

「普通」でありたいと願っていました

 

早生まれなので同じ学年の子と

1年くらい違う上、身体が小さく

みんなと同じ様にできないこと

何をしても劣っている感が否めくて

 

どうしてできないんだろう?

自分を責めた

ひとと同じじゃないなんて「罪」でした

 

 

飲むとお腹が張って苦しくなる

給食の牛乳を(のちにアレルギーと知る)

みんなが飲んでいるものを飲みきりたい

一心で我慢して必死に飲んでいました

 

白すぎて目の上が透けてた肌の色を

ケルトン!と好きな子に言われ

影でこっそり泣いてました

 

 

同じ体型、肌、髪の色、食べれる量

得意なこと、苦手なこと、できること

できないこと

 

「どうして普通になりたいのになれない⁇」

 

私が幼い頃に抱えていた悩みです

 

 

大人になってからも

ひとと同じであることに安心感や

価値を置いていました

 

 

今、改めて思うと

一体ひとと同じでいる必要がどこにあったんだろう?

 

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世界を社会を見てみて。個性のぶつかり合い

助け合いじゃないの?

みんな計算が得意なひとだったら

どうだろう?

 

計算が得意なことが「当たり前」になって

価値や機会が失われてしまう

 

 

みんな同じ才能能力、生きた背景

みんな違う。それを個性と呼ぶんじゃない?

 

 

あなたと私が違う

あなたと私の意見が違う

あなたと親や恋人、友達の生き方

考え方が違う

 

全然おっけー

 

違うから生かされいる

違うから愛おしい

違うから広がる

 

責める必要がどこにあっただろう

 

ひとと比べて落ち込んでる暇はない

どんどんひと比べて「違い」を知ろう

自分をもっと照らさなければ

見つけなければ、走らなければ

何も無いと信じてしまう

 

自分の正しさ、好き、らしさ

それは、「ひととの違いの中」にしかなったんだと知りました

 

 

では、また